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魂とDNAのプロフィール

転生した記憶/DNAに宿る記憶

【DNAの経歴】我が家系の歴史3

 私の高祖父・利一郎が養子として鍛冶屋を継いだのは1885年ごろだった。

一揆の時に裏切った親友からの怨念、人殺しに加担したカルマなど

ものともしない勢いをもつ男だった。

古い写真を見る限り、手足や指が長く、日本人離れの体格に思えた。

ひょっとしたら、外国の血が入っているような雰囲気を感じた。

 利一郎の先代であり養父の達郎は、利一郎が幼い時に丁稚で迎えてくれた。

貧乏出の利一郎にとっては恩人だ。

達郎は、利一郎をかわいがり、鍛冶技術の全てを叩き込んでいった。

達郎の嫁である、おゆすにも優しくされた。

達郎もおゆすも利一郎を迎えた時はすでに60代の高齢だった。

利一郎は、鍛冶屋の仕事と、すでに病気がちだったおゆすの面倒を見た。

おゆすの愚痴の聞き役もこなしたことで、家系の問題をある程度理解できた。

愚痴の内容はこうだった。

若いころは美女としてもてはやされ、鍛冶屋の達郎と結婚できたまでは良かった。

達郎はイケメンだったし、美男美女夫婦として、周囲の羨望のまなざしを得た。

でも、致命的だったのは跡継ぎを産めなかったことだ。

衰退の一途をたどっていた我が家系に、闇を落とす出来事だった。

そして、ここからが本当の地獄だった。

姑から執拗な嫌がらせ、皮肉な言葉を心身に浴び続けた。

姑が他界するまでずっとだ。やがて、心身が病んでしまった。

 利一郎は、自分に優しくしてくれたおゆすが不憫で仕方なかった。

おゆすは何度も、「あなたが丁稚に来てくれて本当に良かった」と言ってくれた。

利発的で可愛がり甲斐のある男の子だったし、子供を授かれなかったおゆすにとって

我が子を得たような喜びが得られたようだ。

利一郎が丁稚奉公にきて、3年ほどでおゆすは他界した。

おゆすのためにも、必ずここを継ごうと決意した。13歳のころだった。

その後、達次は、鍛冶職人としての技術を利一郎に叩き込み

我が家系が引き継いできた鍛冶屋の跡取りとなっていった。

 利一郎はその後、結婚し、4人の男子に恵まれ、順風満帆だった。

私は、家系図を観ながら、カルマが全て終わったのかなという印象を覚えた。

しかし、良く見ると、全然終わっていなかった。

養子縁組の利一郎一家にも、カルマと怨念が忍び寄っていった。

 

sachiya-log.hatenablog.com

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